北極回り飛行北極回り(polar route)東西冷戦の最中、中国やソ連上空を飛ぶヨーロッパ直行便など 考えられなかった。世界の主な航空会社は東京―アンカレッジー ヨーロッパの直行便を飛ばした。乗り継ぎを繰り返す南回りは 大変な旅行だった。兼高かおる世界早周り旅が話題の時代である。 1967年東京―サンフランシスコ―ボストン―モントリオール― ダブリン―ロンドン―チユーリヒ―フランクフルト―ハンブルグ― アンカレッジ―東京と言うビジネス・旅行半々の大旅行をする 機会を得た。モントリオール―ダブリンのアイルランド航空の フライトなど百数十人の乗客中有色人種は私一人だった。 ハンブルグからアンカレッジのフライトは外が白夜でグリーランド アリューシャン列島の島々が絶え間なく現われる。 一万メートル上空からも氷河がはっきりと見える。 疲れきった身であったが、眠れなかった。 独特の黒い縞模様の成り立ちを本で読んで知っていたので、 実際に眼下に広がる景色は私を興奮させた。 また氷河と言えば高山と決めてかかっている私に、 直接海に流れ込み、無数の氷山を生み出す氷河の広がりは 驚愕の一言であった。 この光景は後年私をアラスカに誘い、氷河の氷壁が雷鳴のような 音を立てて崩壊する場面に立ち会わせる遠因となった。 |